2020年3月12日更新2019年4月29日公開

第19回経営者フォーラム開催レポート

◆テーマ
「150年守ってきた精神とこれからの伝統のあり方」

◆講 師
株式会社 宮本卯之助商店 取締役会長 宮本卯之助氏

◆略 歴
1941年 東京 浅草生まれ 78歳 明治大学商学部を卒業後1年間、丁稚奉公し家業である(株)宮本卯之助商店に入社 父親が死去した為34歳にして家業を継ぎ代表取締役社長就任 47歳の時世界中から収集した太鼓の展示場「太鼓館」開館 現在その数900点に及ぶ 52歳の時 邦楽教室、和太鼓研鑽の為の「宮本スタジオ」開設 現在 東京・横浜・博多の3ヵ所で開催している 62歳の時7代目 宮本卯之助を襲名 68歳に家業を長男に譲り取締役会長に就任。
平成22年 文化庁長官表彰授与
平成25年 黄綬褒章受賞
趣味 写真・謡曲・俳句

◆講演要約
まず、私の自己紹介ですが宮本卯之助と申します。現在株式会社宮本卯之助商店の会長をしております。私で7代目になります。10年前に息子に社長を譲りました。現在活動は文化交流を通して和太鼓の普及に務めております。創業は1861年(文久元年)茨城県土浦で山城屋として創業。後に東京都台東区浅草に移転。今年で創業158年を迎えました。創業当時は主に太鼓を制作していましたが、終戦後、神輿を作るようになりました。浅草の三社祭りの神輿の注文が入り作ることになったのが始まりです。私事ですが3つの趣味がございます。一つは写真。世界中を見て回り、写真で思い出を刻んでいます。今回、日仏友好協会の主催の日仏友好160年でフランスのパリに行ってまいりました。年に2度ほど毎年行っています。フランスは歴史ある町なので珍しい物を見つけることが多いです。来年、東京でオリンピックが開催されますが、かつて50年前の東京オリンピックの時、開幕式に使用した大火焔太鼓が、今回のオリンピックの開幕式に使用することが決まったのです。大変嬉しいことです。火焔太鼓は華やかで、皆様に感銘を与えることでしょう。二つ目の趣味は謡曲です。謡曲は能楽の世界では謡・仕舞に入ります。能楽でも色々の流派がありますが私は観世流に属しています。仕事柄能楽の太鼓を制作する縁で謡曲を習い始めました。30年以上稽古をしています。能舞台には、囃子が付き物です。囃子には、太鼓・大鼓・小鼓・笛 そして謡で5人囃子となります。4月に観世流の催しが京都の南座でありました。丁度、桜が満開で素晴らしい舞台でした。最後の趣味は俳句です。五七五の中に自分の想いが伝えられるか、また四季折々の情景をどのように表現できるか、楽しんで創作しています。
  株式会社宮本卯之助商店には社是と社訓があります。社是は、創業から今まで受け継がれてきたもので、わが社にとっては最も大事にしていることです。この事は、社員全員に言い包めています。社是・社訓を旨に常に仕事に邁進しているところでございます。

【社是】重義<義を重んじる 正しい行動をすること>
【社訓】
  1、最良の製品を世に遺し、祭りと伝統芸能を通じて人々に感動を与える。
  2、何事によらず、これで良いと思わずにやり遂げる。
  3、お客様の立場に立って最高の品質とサービスを提供する。

次に、太鼓について少しお話させていただきます。太鼓はオーストラリアとニュージーランドを除いて世界中どこにもあります。昭和63年世界初の太鼓専門博物館「太鼓館」を開設致しました。私どもの太鼓館には世界中から集めた太鼓が凡そ900点程あります。現在、太鼓館には半分以上が外国の方がお見えになります。不思議に思うかも知れませんが太鼓はドラムより音域が広いのです。是非、一度お越しいただき体験して見てください。平成5年伝統文化の保存・伝承の目的で宮本スタジオを開設しました。現在、東京・横浜・博多の3ヵ所で開催しております。太鼓は古くからありましたが一般的に使われだしたのは室町時代でその当時、時計などありませんからお寺の梵鐘と太鼓で時を告げたと聞いております。和太鼓の制作についてですが、和太鼓の胴体の材料には主にけやきを用います。他に目有(タモ・楠木・唐木)を用いることもあります。太鼓の革は牛皮を使います。革は伸ばして乾燥させ、また、水で柔らかくして乾燥させて太鼓に合わせてカットしていきます。大きな和太鼓になると人が乗って足で伸ばします。和太鼓は、樹齢100年以上のケヤキを厳選して選びます。カットしたものを1年位寝かせ乾燥させ、胴の中を切り抜いたものを3年近く乾燥させて、最後はカンナを使い丁寧に手仕上げで完成させます。非常に手間がかかる仕事です。熟練した職人しかできない仕事といっていいでしょう。私共会社には、熟練した職人が多くおります。先日、82歳の方が退職いたしました。まだ、働けるようですが、お身体が心配でお辞めになっていただきました。熟練した職人になるには何十年もかかります。
   
次に神輿についてお話しします。神輿の起こりは奈良時代東大寺の大仏開眼の時(754年)宇佐八幡の神霊を分けて祀る「勧請」を行う際、聖武天皇の紫色の鳳れんを用いた事が始まりとされます。平安時代初期、飢饉・疫病が流行り、貞間8年(866年)京都八坂感神院にて厄病祭りが催されました。御霊信仰へ。平安時代中期には神幸祭が盛んに行われ,桓武天皇が日吉神社に神輿を寄進され。平安時代後期 延暦寺・興福寺の僧兵による強訴があり、後白河法王は鴨川の水と賽の目と山法師が自分の意に添わずと嘆いたと言われています。神輿振り・後の暴れ神輿のもととなったものです。神輿には二種類があり、屋上に鳳凰を飾ったものと擬宝珠(ぎばし)を飾るものがあります。形は、四角造・六角造・八角造・入母屋造の四つ形と屋根は唐波風屋根・漆塗り。神輿の正面には十二支の彫り物を飾り、三社祭りの神輿の正面には、私共の宮本重義の名前が書かれております。最近は、神輿の製作は少なくなり、以前製作した神輿の修繕の仕事が大半になってきております。京都について一言話させてもらいます。京都は平城京(奈良)から平安京に遷都した所です。当時、都を造る際、中国の風水学を用いて建築されたと言われています。中国の風水で吉とされる四神相応の地と見立て「玄武=山丘 青龍=河川 朱雀=湖沼 白虎=大道」とされ、京都の北方の船岡山を玄武と見立て、東には青龍の鴨川を見立て、西には白虎として山陰道が走り、南の朱雀として巨椋池(戦前前まであった)とされる所です。今でも京都は風光明媚な所です。

昨年、アメリカで和太鼓の50年を祝うフェスティバルが開催されました。私は行きませんでしたが、息子の社長が行ってまいりました。アメリカの和太鼓の歴史は古く、戦前、日本人がサンフランシスコ・ロサンゼルスに移民しました。そこで、移民の人たちが、コミュニティづくりに、日本文化の伝承として、和太鼓を練習したのです。特に和太鼓をアメリカに普及した最も有名な日本人がいます。当時の大統領ジョージ・ブッシュよりアメリカの人間国宝を頂いた人がいます。(田中誠一氏)日本人としてアメリカの人間国宝に頂いた人はほとんどいません。日本でも人間国宝になる人は大変なことなのですから。今や日本の各地及び世界中で和太鼓のフェスティバルが盛んに行われています。
最後に事業継承についてお話しします。10年前に息子に社長を譲りました。息子は大学を出て、イギリスの大学院を卒業後、当社に入りました。私は、一年間丁稚奉公しましたから息子もと思っていましたが、息子に言わせると会社が心配で入ったんだと。当初は、なんだかんだとよく喧嘩をしました。おやじは頭が古いんだとか、このやり方はまずいとか、確かに息子の云うことは今の時代には合っていると思います。実は、社長を譲る時に二人でお墓参りをいたしました。そこで、ご先祖様に誓いを立てて参りました。今でも12月31日には息子は必ずお墓参りを続けております。私は行きませんが、お墓参りは別の日にちょくちょく出かけております。今は、あまり喧嘩はいたしません。私がすぐに折れてしまうからです。事業が順調ならばそれに越したことないからです。最近は、インターネットを使い、事業を幅広く発展させているところです。本日は御聴講ありがとうございました。